(H13/9/13)投稿
8月に3度目の腎生検を受けました。
3度目にしてやっと「大したこと無いよ」と人に言えそうです。
1,初めての腎生検
初めて腎生検を受けたのは、7年前、当時住んでいた東北地方の県立病院ででした。
当日は朝から何も食べずに出かけ、入院するとすぐに看護婦が「飲食禁止」と
ベッドの枕元に張り紙をしました。
他にはこれといった説明もなく、「心電図に行って」「レントゲン撮ってきて」と言われるたびに、場所が分からないので訊ねると、面倒臭そうに教えてくれ、
「腎生検は何時頃になりますか?」という問には「夕方。先生忙しいから」。
過度な暖房で喉も体もからからになり、持参した本も読み終わってしまうと、
ただ待つだけの時間は止まっているように長く感じられ、
不安だけが大きく重くのしかかり、ようやく呼ばれた時にはぐったりとなっていました。
連れて行かれたのは処置室でした。
手術室で行われると思っていたので、「またここで待つのか」と辟易するわたしの前に、
疲れ切った表情の医者が現れ、看護婦に苦笑いしながら「何でオレなの」と言い、
わたしには簡単な説明をしました。
そして長椅子のような物に寝かされ、「まさか」と体を硬くするわたしの周りに、
何人かの看護婦とその医者が取り付き、恐怖と痛みの中で「パチンッ」という
音を3回聞いたのでした。
「あ、失敗した」その医者のあまりに誠意の無い言い方に、
「病気になった自分が悪いんだ。病院というところは、こういう扱いをするところなのだ」と
とても惨めになり、痛みよりも悔しさがわたしを眠らせませんでした。
夜中に点滴を見に来た看護婦に水を頼むと、湯飲みに半分ほど入れてきて、
「こぼさないように」とだけ言って行ってしまいました。
検査後、絶対安静だからトイレの用があれば呼ぶように言われていましたが、
翌日、自分で行けるようになるまで、その必要は全くありませんでした。
翌日退院すると、午後は仕事に行きました。
2ヶ月経って連絡があり、結果を聞きに行くと「一生直らない病気です」と
IgA腎症の診断を下されました。
その後、すぐに引っ越すことになり、現在の病院に転院しました。
2。長期入院
腎生検は突然やってきました。
といっても、入院当日に若い病棟主治医から診療計画書を渡され、
腎生検をやる意義も説明されていたので、「思いも寄らないことが」という
意味ではないのですが。
はじめ、「来週の金曜」だったのが「火曜」になり、日曜の夜8時を過ぎて、
「明日の午後」になると言うのです。
まるでカール・ルイスが全力で走って来るのを真正面から
見ているような迫力で目の前に迫って来たのです。逃げる術はありません。
その夜は「2度目の恐怖」からか、心臓がばくばくして寝られませんでした。
月曜日、朝食を済ませ、夕方からの絶対安静に備え身の回りを整えていると、ベテランの外来主治医が突然現れ、「今日11時から腎生検をします。そこしか空いてる時間が無いので」とこともなげに言うのです。
この主治医とは、転院してきてから5年もつき合って来ましたが、
わたしの症状が軽いせいもあって、「数時間待ちの3分診療」という
大病院では常識通りの会話しかしてきませんでした。
ですから年に1度のクレアチニン・クリアランスの結果を聞きに外来を訪れた日も、
またいつものように「変わらないですね」とクセのある言い方で言われて、
すぐに帰れると思っていたわたしに、いつものような言い方で「入院して下さい」と
言った主治医の言葉に「出来ません」とつい答えてしまったのです。
「こんなに悪くなったのはここに来てから初めてですよ」一言だけきつい
調子で言った主治医が直ぐに「早いほうがいいですね」とまた歌うように言いました。
入院期間は10日前後と言われても、小学生の子どもが2人いる
わたしにとってはとてつもなく長い期間にしか思えませんでした。
主治医と入れ替わりに看護婦さんが慌ててやって来て背中の毛剃りをしていきました。
「トイレの練習出来なかったね」担当の看護婦さんも
「まったくあの先生は」と困惑しながらも、「でも2回目だもん大丈夫。がんばろう」と
励ましてくれます。
ただ一つ気がかりは、午後からの検査のつもりで朝食を食べたことでしたが、
坐薬をもらいそれも何とかクリアしました。
さあ、もうここまできたら「まな板」になったベッドに戻り、「鯉」になるだけです。
病室のベッドの横に超音波エコーが運ばれ、抗生剤の点滴が始まり、
検査着のわたしはうつ伏せになりました。
ジェルが塗られ、外来主治医がエコーで腎臓を念入りにチェックし、
「それじゃあ」と言うとジェルがふき取られ、背中一面消毒されます。
「いよいよくる・・・」覚悟を決めた私の周りでみんなの動きが止まりました。
用意してあった布と必要なそれが違っていると会話が聞こえます。
背中がひんやりしているわたしを残し、一旦みんながいなくなり、
数分してまた囲まれると、布を背中にかけていきます。一カ所だけを残して・・・。
「痛い!」思わず叫びました。いきなりブスリときたので。
「あれ、この方麻酔が効きにくい」歌うような外来主治医とは反対に「
大丈夫ですか?」心配そうにのぞき込む病棟主治医。
3本4本と打たれてやっと麻酔が効いてきた。
「この音が聞こえても驚かないで下さい。もう麻酔して痛くないですから」
そう言ってあのパチンッを5年ぶりに聞かされた。
音には聞き覚えがあったけど、その後グリグリと嫌な感触で
押されたことなど全く記憶に無い。
「ほら、○○先生。よく見てて」とわたしよりギャラリーに気を使いながら
主治医はパチンッと計3回打った。
ジュルジュルという奇妙な感触が体の中を走ったのも、
前回全く記憶が無いのはパニックになっていたからだろうか。
とにかく、無事検査が終わり、ほっとする・・・間もなく、後処理が施される。
ガーゼを何回も折って小さく分厚くした物をキズの上に押し当てて貼り、
ものすごく太くて強いテープを男の先生のめいっぱいの力で、
背中に大きなバッテンに貼られる。
そこまでやると、仰向けに返され、新たな地獄が始まる。
砂嚢と呼ばれる物が傷の下にあてがわれ、
その上で4時間、外来主治医の言葉を借りれば「岩のつもりで」
絶対安静を実践しなければならない。
腎臓が目詰まりを起こさないように、水分もどんどん採ってどんどん出すようにと言われた。
今回は母が来てくれたので、天井を見ながら食事をさせて貰い、
ストロー付きの飲み物も売店で買ってきて貰った。
絶対安静で他にすることもないから、じゃんじゃん水を飲んでいたら、
ついに尿意を感じてきた。
看護婦さんがおまるを持ってきてくれたが、練習不足がたたり全く
体が言うことを聞いてくれない。したくてたまらないのに出せず、傷もうずく。
何度かおまるが行ったり来たりして、やっと出せたときは涙も一緒だった。
夜中に傷が疼き、痛み止めの注射をしてもらいました。
小さく畳んだガーゼは小石に、砂嚢は煉瓦になったんじゃないだろうかと思うほどの痛みです。
翌朝、外来主治医が来て砂嚢を、更に1時間経ってバッテンテープを
外してくれた時には、ほっとして眠くなったほどの開放感でした。
トイレにももう自分で行けます。こんなことで幸せを感じる日が来るなんて
夢にも思いませんでした。
ただし、点滴は3日間繋がったままですから、夜中もトイレがやたらに近く、
点滴をぶら下げる「ガラガラくん」と夜中のトイレに行くのは結構気が引けて、
しまいには持ち上げて帰ってきました。
蓄尿と血液検査が続き、もうすぐ退院出来るとばかり思っていたわたしのところに病棟主治医が深刻な顔でやって来ました。腎生検の結果があまりよくないと言うのです。
今のうちにステロイドを使ったほうがいいということも・・・。
夫と、子どもの面倒をみてもらっている両親に相談して、わたしはその治療を受けることにしました。感染症予防のために1ヶ月も入院期間が伸びました。10日と聞いたときでさえ長いと泣いていたのに、一ヶ月もです。
入院中、「病棟部長回診」がありました。
驚いたことに、外来主治医が病棟部長でした。
もっと驚いたのは、わたしのベッドに回って来たとき、
主治医が「あ、ボクの患者さんだ」と嬉しそうな顔を見せたことです。
本で「主治医とよい関係を作ることが腎臓病では大切なことです」と読み、
自分には難しそうだなあと考えていたので、その主治医の一言は
薬何錠分効いたことでしょうか。
不思議な1ヶ月が過ぎ、退院しました。
自分は毎日鏡で見ていて、そう変わっていないように見えた私の顔は、
実は周りから見ると立派にムーンフェイスであったようです。
退院後初めての外来に行くと、主治医は体調を崩し、お休みでした。次の月もです。
3度目で久しぶりに顔を合わせると、穏やかな印象でした。「薬が減ってくれば元の瓜実顔に戻りますよ」優しい声でした。「先生お大事に」「ありがとう」それが最後の会話になってしまうとは思いもしませんでした。
3.ステロイドは効いたのか
翌年になるまで主治医が決まらず心細い通院が続きました。
新しい主治医は他の病院からきたベテランのようですが、
前の主治医より話を聞いてくれて、答えてくれる姿勢があり、安心しました。
ステロイドを服用中はとにかく感染注意と言われますが、
じっとしていられない性分のわたしは、ライブにパーティー、バーゲンとどこでも出かけました。
ただし、手洗いとうがいはきちんとやりました。
順調にステロイドの量も減り、それに伴いカルシウムやビタミンDも飲まずに済むようになり、
いつのまにか入院前と変わらない生活に戻りました。
ステロイドを飲み始めて2年が過ぎ、「そろそろ様子をみて辞めましょう」という話になり、
喜んだわたしが固まったのは、「腎生検できちんと把握してから」と主治医が
付け加えたからです。「えー、悪くなってないのに、あんなに痛いのヤダ!」
心の中はそんなだだっ子と、「しょうがない」と割り切る大人がジキルとハイドのように
顔を出します。
前回のようにまた不安にさせてしまうのかと思うと、子どもには前回以上に言い出しにくいことでした。けれど、今度は短期で済むと説明して、夏休み中に検査して貰えるように主治医にお願いしました。
病棟に着くと、見覚えのある看護婦さんが何人かいる上、
病棟主治医が若い女医さんで、この方の性格がとてもおおらかで、随分リラックス出来ました。
おおらかと言っても、女性特有の細やかさもあり、少しでも安全に安心して
検査を受けて貰いたいという気持ちが伝わってきます。
検査のやり方も、前回、前々回よりわかりやすく、丁寧に話して下さり
、実際にエコーを引っ張ってきて映しながら、「どうして呼吸をとめるのか」
教えてくれた後で「では、やってみましょう」と呼吸の練習までしてくれました。
前回麻酔が効きにくかったことを話すと、
「じゃあこうしましょう」と対策を立ててくれるので、
恐怖心は前回とは比べものにならないほど少なく、
看護婦さんは眠剤の心配をしてくれましたが、必要とせずに済みました。
検査当日、朝ご飯は抜きです。時間になってベッドの周りにいろんなものが用意され、前回と一番違う処置がまず行われました。それは、今回の先生はおまるでは絶対安静が出来ないから管を付けるということでした。その方がお小水も一目瞭然で安全であるというのも理由の一つでした。
点滴が繋がれ、検査着のわたしがうつぶせになるとき、お腹の下に細長い枕を置くのも、前回までとは違っていました。血圧もかなりこまめに測っています。
男の先生が2人、女医さんに協力してあれこれやってくれています。
ジェルを塗った背中にマーキングするチクチクする感覚が伝わってきて、
「いいですかあ、ここでやりますね。息止めてみましょう」。
ここまではまだ普通に息を止められていたわたしでしたが、いよいよジェルがふき取られ、
消毒され穴布(初耳!)がかけられ、「じゃあ、麻酔打ちます」と1本打たれると、
やはりその痛みで体が固くなってしまった。
けれど、1本目が効いたのを確認してから2本、3本と打ってくれたので、痛い時間は短かくて済んだ。何回か息止めのタイミングを確認すると、「じゃあ次で採りますよ、頑張って止めて下さいね。はい、息を大きく吸って、もっと大きく吸って。はい、止めて」。
練習の時は結構長く止めていられたのに、本番は緊張のせいなのか、
大きく吸うのさえ困難に感じられる。
自分ではしっかり止めているつもりでも、息は漏れているようで、
そうすると腎臓も動いてしまい、先生は打てない。
「疲れちゃいましたか?ちょっと体の力抜いてみましょう」。
その言葉で、出産するときの呼吸法を思い出してしまったわたしは、
次の本番ではうまく止められたらしく、パチンッとあの音が聞こえてきて、
すぐその瞬間から脇で待機していた男の先生が圧迫にかかる。
でもこれで終わりでは無いことが察せられたのは、
あのジュルジュルっという感覚が無かったからだ。
やはりもう一度やるらしいが、まだ圧迫は続いていて、
看護婦さんが何度も血圧を測り、お小水の袋を確認する。
まだ中身は空のようだが。
タイムキーパーをしている看護婦さんが10分経過を知らせる。
そんなに経っても、まだ麻酔は効いているんだろうか、ということがとても気になった。効いて無かったら恐ろしいことだが、切れたからともう一回麻酔を打たれるのも辛い。心配は無用だった。「じゃあ、もう一度、麻酔から打ちますね。」
さっきの麻酔はそんなに簡単に切れてしまうのか、やはり1本目が痛い。
場所も変更になり、さっきほど無理をしなくてもいい場所だそうだ。
「じゃあ、いいですか。軽く息を吸って、止めて」パチンッ。
こんなでいいの、というくらい楽に終わったが、またあの感覚が無かったので
、わたしはきっともう一回だろうと覚悟していた。
男の先生は再び汗をかきながら圧迫してくれ、女医さんは自らわたしの細胞を持って走って行ったらしく、声が聞こえない。
20分後、「OKです」の声とともに、「圧迫時間も終わり」となり、ガーゼの固まりが貼り付けられ、砂嚢をその上にのせて太いテープでとめられた。今回はこのままあと1時間40分うつぶせの状態が続く。首が痛くてたまらない。今回は夫が来てくれていたが、これではいくら何でも食事は出来ないので、仰向けになるまでお預けになった。
食事を食べさせてくれた夫が帰ってしまうと、ラジオを聴きながらうつらうつらしていた。
傷の痛みは不思議なほど感じない。
あの感覚が無くても検査が成功だったことを考えると、前回は麻酔が深いところまで効いて無かったように思えてくる。息を止めることを今回ほど強調されなかったことも考えると、今回は本当に丁寧な検査をしてくれたから、疼痛も殆ど無いのではないかと思えてくる。
管はいやだな、と少し抵抗があったけれど、お小水のことで気を使う必要が無いことも、気楽でいられる要因かもしれない。看護婦さんたちが袋をチェックしては「キレイ、キレイ」と誉めるように言ってくれるのがこそばゆい。
4時間が過ぎて、砂嚢が外された。これが前回は翌朝までだったから、随分楽になる。
テレビ用とラジオ用にイヤホンも用意して貰い、ペットボトルに付ける
ストローキャップも持ってきた。消灯時間の10時までドラマを観て
気持ちも紛れていたせいか、「夜になって痛み出す」という不安も杞憂に終わった。
同室の方々にも「唸りますけど、ごめんなさい」と前もって言っていたので、
次の朝「よく眠れたみたいでよかったわね」と言われるほど傷の痛みは軽かった。
ただ、やはり体の向きを変えられずにじっとしているのはつらくて、
ガーゼが夜中に小石に変身してしまうのは、どうにも出来なかった。
翌朝テープがはがされ安静解除となった。点滴も必要無しという判断で外された。
管も外して貰ったが、今回は検査翌日はベッド上安静で、トイレに行くときは看護婦さんを呼んで、車椅子で送り迎えして貰わなければならず、それはそれで気苦労だった。
翌々日はそれも解除になり、その次の日、朝の採血の結果退院が許された。
結果を聞きに行ったのは退院してから2週間後。腎生検が済むと、ついほっとしてしまうが、外来主治医が結果を話し出す瞬間、一気に緊張が高まった。
けれど恐れるような結果にはなっていなかった。
「ステロイドが効いたってことですね」主治医が少し笑顔になりそう言ってくれた。
礼を言って廊下に出ると、別の科が並ぶ場所へ向かった。去年の改築前は内科の診察室が並んでいた場所。「先生、どうもありがとうございました」。
5年間通った診察室の辺りに向かって心の中でお礼を言うと、
「人工透析にならないようにこの治療をしてます。安心して下さい」
「少しでも人工透析が遠くなることをあなたの治療方針にしています」
2年前にベテランと若手の主治医が言ってくれた言葉が思い出された。
これからも、悪くならないように気を付けます。
ピカピカなそら豆をイメージしながら魔法の水を飲んで。
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